永井均「これがニーチェだ」

誤解のないように始めに指摘しておこう。永井均は現代の日本では珍しい、本物の哲学者であるということだ。日本には哲学に関連した著作はたくさんある。にもかかわらず、哲学者と呼ばれるにふさわしい人物は少ない。たとえば、木田元は第一級のハイデガー研究者かもしれないが、哲学者とは呼べない。柄谷行人のように理論的著作を書く人もいるが、やはり所詮は評論家に過ぎない。そうした中で、物事を一から考えて組立てることのできる数少ない人物として永井均を挙げることができる。
これは幾多のニーチェ本とは比べ物にならない傑作ではある。学者の書くニーチェ本にはうんざりさせられざるを得ないし、ハイデガーニーチェ講義のようなものはニーチェというよりむしろハイデガー本人の哲学といってよいし。それに比べれば、ニーチェの哲学説がよく整理されて書かれているし、質も高い。ならば、何か問題があるというのだろうか。
永井均はこの著作の最後で永遠回帰を説明している。それを説明する上で、世界を肯定する者としての無垢なる子供を取り上げている。それは単なる比喩としてなら認めよう。しかし、どうも永井均は無垢であることを手に届かない理想に仕立てている気がする。道徳という理想から、無垢という理想へ。しかし、理想が別のものに移動しただけで、現実に手に届かないものを夢見る理想主義に変わりはない。それこそニーチェが批判し続けてきた当のものではないのか。祈りとかいったって、ごまかせない。永井均には芸術を理解する高貴なる趣味が欠けているような気がする。永井均ニーチェ的高貴さを実は知らない。

  • amazonに公表するのをためらったテキスト

これがニーチェだ (講談社現代新書)

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