コネクショニズム・アプローチについて

コネクショニズム・アプローチが成功した領域は知覚と運動の比較的低次のレベルであり、思考と言語の領域や知覚と運動の高次のレベルではあまりうまくいっていない。その点ではピンカーのコネクショニズム批判は正しい。
認知心理学には、データ駆動処理(ボトムアップ処理)と概念駆動処理(トップダウン処理)の考え方がある。データ駆動処理(ボトムアップ処理)とは、感覚入力からの処理であり、概念駆動処理(トップダウン処理)とは蓄積された知識からの処理である。例えば、私たちが人の声を聞くとき、純粋に声からの感覚データだけを元にその声を理解しているわけではなく、どのようなことが言われるかに関する知識や予測が関わっていることが実証研究から分かっている。データ駆動処理と概念駆動処理とがお互いに関連し合って情報が処理されている。
知覚や運動の高次のレベルがコネクショニズムでうまく行かないのは、概念駆動処理が関わっているからだ。つまり、知覚や運動の高次のレベルは知覚・運動の領域と思考・言語の領域との接点だからだ。コネクショニズムは思考・言語の領域を扱うのは未だに苦手で、そこがモジュール派からの批判対象になっている。
サブサンプションによる自律型ロボットだって知覚と運動の領域内に留まっていることに変わりはない。知覚・運動の領域と思考・言語の領域との結びつきは認知科学の最大の課題として後々まで残ってしまう可能性が高すぎる*1

*1:認知言語学はいいところにいっているが、にもかかわらず思考・言語の領域に留まっていることに変わりはない。ちなみに、脳画像研究の最大の成果は(もちろん機能の脳内マッピングではなく)所詮は行動を見るのが限界な心理学などでははっきりと分からなかった身体イメージの重要性が分かったことである(ミラーニューロンだってその一貫で理解できる)。それでも分かるのはここまでだ。また、哲学的には連続と離散の問題とも言えるがその話はしない。