心理学理論の誤解いろいろ

認知心理学の入門書に書かれている「行動主義」批判を鵜呑みにした偏見? http://diary.hasep.net/_7/04/25.htm
以前から私は日本では認知革命の意義が理解されないことにうんざりしてきた。一見上のリンク先で紹介されている発表では好意的に扱われているように見えるが、その勘違いはむしろ迷惑にも感じる。状況認知とは既に常に行なわれているのであって、授業などで生じる特別な状態ではないことは以前に指摘した(「認知科学の教育への応用に関する一考察」を参照)。ここに列挙されている特長からするとむしろ活動理論の方が相応しそうだ*1。情報処理アプローチ(認知主義)に関してもあやしい。ここでも指摘されているが、内発的動機づけは情報処理アプローチよりもむしろ行動主義の領内と考える方がいい気がする(認知理論で動機を扱わないことは「「誘惑される意志」の書評」を参照)。また、コネクショニズムはもともと行動主義の脳モデルでもあるのだから、認知心理学の中には行動主義の考え方は変形された形で含まれていることにもなる。ただ、連合という言葉を使わないからといって、行動主義でそれに値する説明を行なっていないことにはならない。すぐ流行に乗って行動主義批判だの認知主義批判だのが行なわれて、そのじつ批判対象の内実をろくに知らないなんてことには注意したい。
それから、

なお上記引用の中ではチョムスキーの「言語使用の能力は、原理的に、環境からの強化によっては導かれえない」、あるいはピアジェの「抽象的思考能力は、学習によって獲得されるものではなく、子供の自然な発達によるものである」という指摘が論拠に挙られているが、これらは現時点で、必ずしも実証済みであるとは言い難い。またこれらが部分的に実証されたとしても「言語使用能力や抽象的思考能力はいかなる意味でも学習を必要としない」などとは断定できないはずだ。もしそんなことになったら、学校で言語使用や抽象的思考を教育すること自体無意味になってしまう。
スキナー以後の行動分析学(15)社会構成主義との対話(PDP)p.12-3より

これは完全な誤解である。チョムスキーピアジェの認知理論は物事をよりうまく説明するための理論であって、それ自体が直接に実証されるわけではない(間接的にのみ可能)*2。行動主義が人間の行動を説明するときも事情は変わらない。行動主義も認知主義も説明や実証のために必要とされる理論である。もちろん認知理論が学習を全く否定してるなんて話は聞いたことがない(いくらなんでも極端な生得主義を想定しすぎ。だいたい言語獲得と第二言語習得とが違うのは基本だし、生成文法は正しい言語使用を定める規範言語学ではない)。今のところ行動主義が最も仮定することが少ない心理学理論なのは確かなので、まずこれで説明できるかを確かめてからだんだんと仮定の多い理論による説明へと進むのが妥当なやり方だ(少ないに越したことはないにしても、仮定が多いこと自体は非難理由にはならない)。実際のところ、行動分析学認知心理学とは、扱うのを得意とする領域が端的に違うのだと考えた方が妥当だろう。
ちなみに、スキナーというと彼の書いた「ウォールデン2」というユートピア小説を思い出してしまう。授業で紹介されたときに図書館で探して手にとったが、さすがに読まなかった。

*1:活理理論が教育理論だっていうならコール流の文化心理学でもいい。活動理論と文化心理学は相性がいい(ただし北山忍文化心理学はまた違う)

*2:科学哲学的に言えば決定実験は存在しない。とはいえ、実証研究が進んだ今ピアジェの理論を文字どおりに受け入れるのはバカらしいが、理論から学ぶことはある