意識研究の系譜と認知科学の系譜

ノーベル賞科学者のアタマの中―物質・生命・意識研究まで」ASIN:480671187X*1を読むと、意識研究の系譜と認知科学の系譜は分けて考えた方がいいなと思う。意識研究はシュレジンガーあたりからクリックやペンローズなどを経る伝統があり、自然科学系のノーベル賞級の大科学者*2が自然科学としての脳研究に参入することで成り立っている。それに対して、認知科学は科学の劣等生な分野から生まれたとも言える。認知科学の代表分野である心理学や言語学や人類学は、物理学至上主義なゴリゴリの自然科学からすれば明らかに劣等生だ。そこに、科学ではなくあくまで工学である人工知能や所詮は人文系の哲学が付け加わって認知科学という学際領域が出来上がった。認知科学の代表分野には神経科学も挙げられるが、もともと神経科学はきちんとした自然科学なので関係はこれらの分野よりは単純ではないと思うが。もちろん認知科学の特徴は以前も指摘した通り*3、自由なモデル作りと(行動主義に比べれば)柔軟な実験計画*4である*5。正当な自然科学から生まれた意識研究と、工学的科学への道を歩んだ認知科学とでは、大きな違いを感じる。とはいえ、今や意識研究と認知科学はかなり合流してはいるが。

*1:ホーガン「続・科学の終焉」ASIN:419861170X。アマゾンのレビュアーが言うほど著者の批判は的外れではない(序文をよく読め!)。クリックやコッホが一元論を選ぶのは実証研究をするための前提であって、別にそれで満足してるってわけではない(証拠なしの思弁よりマシってこと)。この本にあるミンスキーやブルックスの発言を読むと彼らは認知科学寄りだと分かる。と同時に、ホーガンの興味は認知科学(認識論)にはないこともよく分かる。この本は「認知科学は何でないか」「心について実証的に調べられるのは何か」を遠回しに知るには結構悪くない本だ(少なくとも認知科学が臨床的に直接に役立つことはなさそうだ)。まぁ、誰もが人の認識に興味を持つ必要など全くないんだけどね(小学生から英語教育のような見当はずれな政策への批判ぐらいは簡単に出来るそうだが)。

*2:ハーバート・サイモンノーベル賞を取っているがあくまで経済学でだ。ここで挙げてるのはゴリゴリの自然科学でノーベル賞(級の成果)を取った人たちが後から意識研究に取り組んだと言う話

*3:認知革命の意義とはなんだったのかを参照

*4:どちらにせよ、実証研究における条件の統制の大変さなどは変わらないが。

*5:あえて自由なモデル作りの系譜をたどると、ピアジェチョムスキーの理論を見れば分かるが、数学的構造主義が関わっている。さらに数学的構造主義記号論理学をつなげたりすればアルゴリズムなどにも言及できるし、ピアジェ批判としてのヴィゴツキーチョムスキー批判としても認知言語学の共通性に触れたりと、この辺りの話はするきりがないのでやめとく