de dict様相とde re様相の中世哲学的起源

結合的意味と分離的意味の差異はpossibile est album esse nigrumにおいても、これが「白いものが黒いことは可能である」と「白いものは黒いことが可能である」の二様に解されるというように、まったく同様に成り立つ。結合的意味ににおいては「白いものは黒い」と記述される事態の成立が可能であるということになり、これは偽である。しかし、分離的意味においては現に「白い」と記述されているものについて、「黒いことが可能だ」と言っていることになり、これは真である。現に白い人も、日に焼ければ黒くなるかも知れないからである。
このように結合的意味と分離的意味は、一般的に様相命題の論理構造に関して、様相の掛かり方をどう解するかについての二通りの解釈として提示され得るのであって、この区別が中世論理学に由来するde dict様相とde re様相の源泉となる。結合的意味は「白いものが黒いこと」(album esse nigrum)という言語表現(dictum)全体に様相が掛かっていると解し、分離的意味で「白い」と言われるものに(de re)様相が掛かっていると解するものにほかならないからである。
清水哲郎 「オッカムの言語哲学」(ISBN:4326100850)p.171-2より

神の予定に関する命題「予定されている人が(は)滅びる」に関する議論もあるのだが、それは省略。(形式意味論の前提ともなる)可能世界意味論にも関連して。とはいえ、形式意味論についてはマニアックすぎてここで何か書けるか分からない。

  • 参考サイト

クリプキの「信念のパズル」
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~irie/kougi/tokusyu/2003ss/2003ss08Kripke.htm
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~irie/kougi/tokusyu/2003ss/2003ss09Kripke.htm