社会的認知とか何か?を考えてみる
社会的認知(social cognition)についてはもう少しちゃんとここで書いたほうがいいのではないか?という思いは以前からあった。そう思ったきっかけのひとつとして、欧米の哲学者によるタイトルに社会的認知を称した論文を幾つか読んでいたら心の理論のことしか書いてなくて、その不勉強ぶりにガッカリしたことがある。他にも、日本で出た社会脳を題する本を読んでその社会性を巡る内容の薄さにガックリきたり、日本には「心の理論」と「理論説」の区別が付いてない人が未だに多い*1とかもあるが、もっと大きな理由はきちんとした科学的な社会的認知の文献を読んでいるうちに、自分が元々持っていた社会的認知の範囲よりも扱う範囲が広がっているのに気がついたのでそれを整理しておきたいと思ったのもある。
社会的認知について説明する
社会的認知とは何か?私が自分で説明するなら簡潔に「社会的刺激の認知心理学」と言っていただろう。「The structure of social cognition」には社会的認知を「(人のような)主体と主体同士の相互行為を理解することに関連した刺激を処理すること」と説明してあり、私が簡潔に思っていた説明を分かりやすく引き伸ばしたものになっている。自分の説明が正しいことを確認した上で、じゃあ社会的認知の具体的な中身はどうなのだろう。
まず私自身の元々の社会的認知への認識を示しておくと、心を理解する上でその枠組みを研究するのが心の理論でその中身の研究が社会的認知だ…とぐらいに長らく思っていた。その理由は自分が社会的認知を知ったのが学生時代の社会心理学の授業からであったという個人的理由もあるが、歴史的な由来も原因にある。
私の元々知っていた社会的認知がステレオタイプなどを扱う対人認知に代表される社会心理学由来の研究テーマ*2なのに対して、心の理論は動物認知や発達心理学に由来する研究テーマであり、元来は別々に発展してきた研究テーマであったはずだ。こうして社会的認知と心の理論が別々に進展していたのがだいたい二十世紀末までの事情だ。二十一世紀に入ってから認知科学に微妙な変革が起こる*3のだが、その中で社会的認知と心の理論の関係に変化が起こったのだろう。とはいえ、単に社会的認知=心の理論と同じだと思っているのはただの不勉強(なら一方の用語はいらない)*4だが、社会的認知に心の理論を含めることには同意が広がっているように思われる。それに伴って、社会的認知の元々の意味を変えることなくその適用範囲が広がることになったようだ。そのことによって二十一世気になってから流行った研究テーマである模倣や共感も社会的認知に含まれるようになったようだ。
とはいえ、心の理論についての議論と社会心理学的な議論が分離気味な点はあまり変わってない気がする。社会的認知の社会心理学的な側面については(日本ではあまり知られてないが)欧米では差別問題との関連で無意識の差別を扱った研究が話題になったこともあり、科学的な重要性が低いということは全くない。日本で出た社会脳本の内容の貧弱さに落胆した経験のある自分としては、社会的認知についての理解がもう少し広がってほしいなぁ〜と思う。