互いに矛盾したシステムか均質化されたシステムか、という不毛な選択

日本ではシステム間の専門分化が激しく、システム間の矛盾が大きな問題になっているように思う。典型的な例は、教育システムと経済システムである。教育システムは真面目で勤勉な生徒を育てることに勤しんでいるが、そういう人物がいざ就職しようとすると大きな壁に阻まれる。企業、つまり経済システム、が望んでいるのはよき人格やコミュニケーション能力だ。たとえ専門技術があっても事情は同じであろう。ここに矛盾が生じる。教育システムが求めることと経済システムの求めることはあまりに違う。真面目に学校に適応してきたやつほど、社会に出ようとすると痛い目を見る。適当にやり過ごしてきたやつの方が社会、経済システムなど、ではうまくいく。このように、日本ではシステム間の移動をするときに、そのシステム間の大きな隔たりを感じることになる。特に教育システムは、ろくに批判能力もない子供を相手にしているから、余計に始末が悪い。何だよ、社会じゃお前らの教えてきたことと全然違うじゃないか。
個々のシステムはそれだけで独立したシステムであり、それはシステム間を移動すると大きく感じる。政治システムは人々の生活に貢献しているだろうか。法律システムはまともに施行されているのだろう。芸術システムは一般の人にも分かる作品を作り出しているだろうか。こういうことは考え出すと切りがない。すっかり複雑化した現代社会では、それぞれのシステムが専門を分業することで乗り越えようとしているが、あまりにシステム同士が独立しすぎて、互いの要求を受け入れることができなくなってしまっている。だから、例えば、企業家は教育システムに役に立つ人材を育成するように求めるのだが、あまり受け入れられない。じゃあ、教育システムが専門学校化して経済システムに従属すればよいのか。そうはいかない。
もし本格的にシステム間が競合するとしたら、その中から最も力を持ったシステムが主導権を握るようになる。つまり、資本主義やグローバル経済という恐ろしいほどの強みを持った経済システムが主導権を握るようになる、と考えるのが妥当だ。経済システムはあまりに強力だ。もし、教育システムが経済システムに従属したらどうなるか。確かに企業にとって役に立つ人材を育てることになる。これは効率がいい。しかし、あまりに弊害も多い。教育段階で将来が決まってしまう。競争が教育の中にまで完全に入り込む。経済システムにおける、[儲ける/損する]という鮮明な対立が初めから取り入れられる。考えるだに恐ろしい。やっぱりシステム間の独立は必要という気もする。別のシステムを選ぶ、に逃げる、を対立させる、ということも必要だろう。完全に均質化されたシステムは効率はいいが、やがて停滞するし、絶望が人をおおう。というか、学問システムが経済とは関係のない研究をしていないと、資本主義そのものも危ない。新しい発明とは、初めは役に立たない研究から始まることが多い。新しい発明から新しい商品を生み出さないと、需要は開拓されない。資本主義は放っておくと、合理化ばかりが進み、商品開発の可能性も尽くされてしまい、ダメになってしまう。無駄のない社会は、かえって衰退への一途をたどることになる。
互いに矛盾したシステムも困るが、均質化されたシステムもろくでもない。各システムが独立しているのは避けられないだろう。問題はシステム間の関係である。今の教育システムみたいに、勉強すれば何とかなる、とかいうウソを吹き込むのはやめた方がよい。それで一番損をするのは貧乏人だ。下層階級ほど一生懸命に勉強しないと成績がよくならないが、そうなっても社会では報われない。金持ちほど、効率よく試験を通りながら、他の余裕もある。貧乏人のように、コミュニケーション能力か学業成績か、という選択をしないで済む。政治家になれるのも法律家になれるのも、有利に生まれついた方だ。じゃあせめて、学問システムや芸術システムなら、というのも今や難しい。それはそれで高度に専門化されてしまっている。才能があればいいってわけでさえない。社会の中の何もかもが何かしらのシステムに飲み込まれてしまって逃げ道などない。
インターネットが諸システムに対抗できるか?よく分からない、というか怪しいような。それもまたシステムにすぎないような。もうちょっときちんと考えてみるしかないと思う。