ヴィゴツキーの書きことば論

ロシアの心理学者ヴィゴツキーが論じるように、話し言葉と書き言葉とは全く異なる。話し言葉は(聴覚などの障害がない限りは)普段の生活からごく自然に学ぶことができるが、書き言葉は日常生活の中で自然に学ぶことはできない。これはその人が文字を読み書きできるかどうかとはとりあえず独立した問題だ。他人に通用するような文章を書けない人というのは存在しうるが、他人に話を通用させることができない人なんてあまりいない(でなければ日常生活を営めない)。より正確には、仲間内で内輪に通用する文章は書けても、より一般に通用する文章を書けないことはよくある。なぜだろうか。
話し言葉と書き言葉との大きな違いは文脈依存性である。話し言葉は具体的な文脈の元でなされるので書き言葉と比べると様々な省略が可能である。ヴィゴツキーは独り言・話し言葉・書き言葉と比較して、段々に精緻な語り方が必要とされることを指摘している。独り言は話し言葉に比べると様々な省略が行なわれており、場合によっては単なる言葉の断片であることもある。これは大人であっても見られる特徴だ。子どもは現実のコミュニケーションの中で省略可能な要素とそうでない要素を学んでいくことで、他人に通用する言葉としての話し言葉を身に付ける。これはごく普通の生活を送っていれば自然と身に付く。しかし、書き言葉の場合はそうはいかない。書き言葉は学校などで意識的に学ばれる必要がある。
書き言葉とは話し言葉をそのまま写し取ったものではない。現実の話し言葉は文脈に依存しているので(きちんとした書き言葉に比べると)省略が多い。文脈への依存が低い書き言葉で、話し言葉をそのまま写したら目も当てられない結果になる。書き言葉は書き言葉でも、例えば書き置きや友人へのメールのような短い文章ならば文脈への依存も高めで、話し言葉の写しに近くても困らないかもしれない。しかし、文脈への依存が低いまともな文章を書くとなると途端に困ることになる。話し言葉から書き言葉への移行は、独り言から話し言葉への移行ほどにはスムーズには行なわれない。書き言葉には話し言葉のようにリアルタイムの反応を期待できないので、自ら意識して様々な省略を埋めていかなければならない。省略と言っても、知識レベルの省略などいろいろな省略がありうるが、具体的な論議に入ると面倒なのでやめておく。どんな省略であれ、話し言葉における省略は書き言葉においては補われなければならず、それは自然には身につかない以上は意識して学習されるしかない。
追記:ここでの説明はかなり形式化された説明であり、誤解を招く記述(特に独り言から話し言葉へ)があるので注意してください

  • 参照文献

ヴィゴツキー「思考と言語」isbn:4788041103 代表作だがちょっと難解。
柴田義松「ヴィゴツキー入門」ISBN:4901330608 原典に沿った分かりやすい解説、俗流ヴィゴツキー理解への批判あり