このブログでハイデガーについて書くとろくなことがない

はい、表題の通りです。私がここでハイデガーについて何か書くとろくなことがありません。私がハイデガーを擁護しようが批判しようがどっちにせよ起きたのはろくでもないことばかりです。はっきり言ってこう思った、もうハイデガーのことなんか金輪際かくもんか!
実は今回でハイデガー関連のうんざりする出来事は二度目だ。一度目は、某学者の書いたハイデガーに関する記事に言及したのだが、そこでおそらくその某学者本人からと思われるコメントが来た。一つ目のコメントは冷静な批判で問題はなかったのだが、連続ですぐに来たコメントが論者への誹謗中傷だった。そのあとにトリマキっぽい人たちからの誹謗中傷が続いてすっかりうんざりしてしまった。それ以来ハイデガーのことなんかもう書くもんかと、分析哲学の話ばかりするようになったするようになった。
それがこの前、つい解禁とばかりに気が緩んでハイデガーについての記事を出してしまった。今回は前回の擁護中心と違って批判が中心の記事なのだが、その記事に対して反論したブログ*1があったというので、そこのコメント欄に顔を出した。そこでまたろくでもないことが繰り返された。こっちが相手の反論に答えているのにそれを無視して、自分の言いたいことが伝えられなかったの一点張り。相手を説得しようとする気が一切ないのにあきれてしまった。その後も、私がいろいろと丁寧にコメントを書いても、一方的にこちらに詰問して来るばかりで、こっちの言ってることにどこまでは賛同なり理解なりをしてくれているのかはさっぱり示してくれない。まるで相手の言うことをろくに聞かずに一方的に質問ばかりを攻め立てる出来の悪いジャーナリストのようだ。または、こっちとしては一方的に攻め立てられるだけじゃ、刑事からの尋問で犯人扱いされてるのと同じ気分だ。それで議論が成立しないことにうんざりして、私はそこから立ち去った*2
いや、私の言ってることが全部正しい訳ではないだろうし(当たり前だ)、その点に関しては批判されても構わないし、それに納得できれば受け入れるけど、状況はそれ以前の状態だ。コメント欄でのやり取りは誤解を解いて理解を深めるためのものだと私は思っているけど、そうは思ってない人は多いようだ。

お口直し

このブログに来たblupyさんの行動主義に関するコメント(→こちらです)は有益なので、ぜひお勧めします。正直言って、私は行動主義にあまり詳しくないので大変参考になりました。

*1:そこで私の書いたものが雑多な思い付きだと非難されていたが、私の書いたハイデガー記事が雑多なエッセイなのは読めば分かることであって、何でそのことで非難されないといけないのかよく分からない。私が哲学的なエッセイを書くことは許されないことなのか?あと、批判されたからといって それを読まない奴がいるのは私の責任じゃない。その点では、しょっちゅう批判されているプラトンデカルトの方がよっぽど可哀想だと思う

*2:というか「人はいかなる形而上学からも逃れることはできない」という現在の哲学ではさして珍しくもないテーゼについて書いて何でこんなに一方的に非難されなきゃいけないんだ。哲学史全体を敵対視したいなら勝手にしてくださいと思う