日経サイエンスの進化論特集を読んだ

進化心理学への批判記事があるというので楽しみにしてたけど、なんか物足りない。進化論特集なのに紹介記事でなく批判記事ってところにどんな意図があるのかはよく分からないが、そこはとりあえず脇に置く。
この記事の著者は、進化心理学にも科学的に慎重な研究もあるとしながらも、一般に流行ったものに対してはポップ進化心理学と茶化した呼び方をしていたのだが、その文献表の中には(デヴィット・バスなどに混じって)ピンカーやトゥービー&コスミデスの(90年代の)有名な著作が挙げられていて、近年における進化心理学の進展に批判的だった私でさえ違和感があった。同じピンカーならもっとひどいのがあるだろうし(残念ながら"The Blank Slate"は褒められたものではない)、だいたい"The Adapted Mind"が駄目なら進化心理学の根幹が駄目になるんじゃないのか。でも私から見ても、著者はこうした正統派の進化心理学を十分に理解して批判しているかは怪しい(ヒトの心が更新世に作られたかどうかを問題にしている辺りはまさにそうだ。適応時期そのものを議論対象にすれば済むことだ。証拠がないの連呼でどうも能がない)。
進化心理学を批判するときには大きく二つの方向がある、まず、ろくに検証できない適応物語が流行ったことへの批判である。これに関してはもっときちんと批判が出てほしいと思う。もうひとつは、モジュール論と野生環境への適応を組み合わせた正統派の進化心理学で、1990年代のトゥービー&コスミデスやピンカーはこれの源だ。学術的にも受け入れられている分、こちらの方が批判は面倒くさい。もちろんこの二つははっきりと分けられるわけではなくて、野生環境への適応において接点を持っているが、説明しようとしている行動の検証度合で違いがある。記事の著者も批判しているように、適当な質問紙で測った結果を用いるのはお話にならない。確実な成果として認められている四枚カード問題…への解釈によるうそつき検出装置のようなモジュール論とは異なる。大体において心理学実験に頼るモジュール論と単なるアンケート調査*1では成果の確実性がまったく違う点を脇に置いても、アンケート調査がおかしいという批判はまったくの見当はずれというわけではなくて、まともな心理学者ならもっと慎重に議論するはずのところを、安易な議論がまかり通っていたのは確かだ。適応論の検証どころか、それ以前の観察される行動(認知)で不確実ではお話にならない。
ただひとつ言っておきたいことは、こういう批判をされたくないなら、真面目な進化心理学者自身でそういった俗流進化心理学(何でも進化的適応論)を批判して浄化を図ってくれればよかったのだが、残念ながら(少なくとも今までは)そういう傾向は少なかった。アメリカは進化心理学ブームが激しかったし、日本でも進化心理学を(十分に理解せずに)安易に受け入れている人を幾人も見たことがある。だから、私がここで進化心理学の基礎はモジュール論にあるといちいち言わないといけない羽目になる(ちなみにネオ・ダーウィズムも正しい理解が広がってほしいと思う)。
はっきり言ってここ十年ほどは、(主に俗流な)進化心理学が好き勝手にものを言い過ぎていた傾向があったし、それを批判するというのなら分かるのだが、残念ながらどうもそれとは異なるらしい。最近の宗教に関する進化論的な議論などは検討するに値すると思うのだが、それも取り上げられていない。こんなのを載せるぐらいなら進化心理学の紹介記事の方がよかったんじゃないかと、私でさえ思ってしまった。

  • 参考サイト

心はどのように進化したか
http://elekitel.jp/elekitel/sci_talk/cont99/evo/evo01.htm
統計調査を用いた進化心理学の研究は比較的後発だと思うが、条件の統制が出来る心理学実験と違って絡む要因が複雑でかつ結果も間接的なので相当に気をつけたほうがいい。進化心理学に限らずとも、一般的にアンケート調査や統計調査の扱いには注意すべき点があまりに多い。私自身はあまり積極的に認める気になれない。
(追記)進化論そのものは独立した様々な成果(化石や形態や行動や遺伝子など)を最大限に説明する強力な科学的理論であり、単なるお話などというレベルには既にない。だからこそ、怪しい俗流進化心理学はきちんとつぶした方が進化論普及のためにもいいと私は思う。

*1:ちなみに、テストとアンケートでは測れるものが異なり、テストの方なら心理学実験により近くなる。この辺りの議論はややこしくなるので省略