記事「ネットは社会を分断しない」を分析する

上にリンクした記事は、元になった新書を書店で既に眺めていたことがあった。その時の感想は、現実のデータを分析してくれるのはありがたいが、データの解釈には疑問があるなぁ〜であった。アマゾンのレビューでも疑問が呈されていて、そのうち誰かがちゃんと検討してくれればいいな…と思っていた。で、上の記事を見つけて読んでみても、基本的な感想には変化がなかったので、少しだけ気づいたことを書いておきたい。

分断と分極化の区別がついていない

最初は用語の問題だが、この著者は分断と分極化の区別がついていない。記事では政治的な左右へと見解が極端に分かれる現象を分断と呼んでいる。だが元々、政治学者や心理学者は見解が極端に分かれる現象をpolarizationと呼んでおり、社会心理学ではもともと分極化や成極化と訳されており、それを知らない人は極端化と直訳ぽくしてる事も多い。これは最近よく使われる用語なので、いい加減に早く正しく使用されてほしい。

一般的に言って、分断とは階級や階層や政治的な左右の差がある人達の間でコミュニケーションや交流が失われたり話が通じなくなったりを指す方が、原意に近いし、私の知ってる範囲ではそちらの方が元々の使われる意味な気がする。

一般的に言って、日本の学者はもうちょっと用語の意味を前もってきちんと調べておいてほしい…と思ってしまうことはよくある。

世代間で政治的な左右観が違っているのでは?

ネットのある記事で、最近の若者には共産党が保守的だと思っている人がいると読んだことがある。これが今の日本にどの程度当てはまるのかは分からないが、少なくとも今の日本では政治的な左右への感覚がかなり混乱している印象が拭えない。

だとしたら、この記事でのアンケート全体をリベラルと保守に分ける分析法では、その分け方による偏りが出てしまうはずだ。この記事での分析結果は、年配者に合った分け方をしているせいなのかもしれない1。ならば、もしアンケートから分極化を知りたいなら、むしろ質問ごとに分極化の傾向を調べる方が左右の分け方の影響がなくなるので、そっちの方が分析として相応しい。てか、なんで始めからそうしてないのか?が私にはよく理解できない。

エコーチェンバーがなくとも集団分極化は起こりうる

記事では、ネットでは自分と同じ意見にばっかり接するとするエコーチェンバーに対して否定的な結果が出ており、これ自体は興味深い結果だ。むしろマスメディアや出版物の方が情報の偏った選択的接触をするという指摘も納得がいく。ネットのコストの低さへの指摘もなるほどと思う。

しかし、反対意見に接すると穏健化するという著者の見解には根拠がない。それどころか、政治学者サンスティーンによって一般的にも広く知られるようになった社会心理学の成果である集団分極化によれば、むしろ逆の結果も導ける2。そもそも、既に触れたように分断指数自体が怪しい(なぜ質問別に分析しない?)ので、どこまで著者の分析を受け入れて良いのか?が私にはよく分からない。

極端な意見をリツイートして広めてるのは誰か?

極端な意見をネットに表明しているのは一部の人々だというのは、何となく正しそうな気がする。だが、この記事での分析はアンケートの書き込みについての質問だけから分析している。しかし、極端な意見がネットで広がるにはリツイートなどをする人の存在が重要であるが、なぜか記事にそこへの言及がない。つまり、書き込みについての質問だけからネットに極端な意見の人が少ないことを証明するのは不十分であり、リツイートやいいねについての質問も考慮すべきではないのか?

本当にネットをよく使う若者は穏健なのか?

若者が政治的に穏健という分析に対しては、既に触れた分断指数の問題もあるが、それを脇に置いたとしても別の解釈もできる。それは若者が政治に無関心である可能性だ。アンケートの結果は、若者が政治的に穏健という結論だけでなく、若者が政治に無関心という結論も排除できない。直観的にも、政治に関心がある方が見解が分かれやすそうだが、それもデータから調べるべきだ3

色々と書いてきたが、インターネットへの悲観論に抗したいという著者の態度には私自身は好意的だ。どうにせよインターネットなしで済ますことなどこれからの社会では不可能なのだから、その設計を良くしようとする努力は必要だし、そのためにも現状を理解する必要もある。

追記(2020/3/30)

こんな記事が公開されてた https://synodos.jp/society/23400 この記事で指摘されている2つ目と3つ目の問題は、ここで論じたものと実質的に同じだと思います。一読をお勧めします。


  1. そもそも年配者ほど意見が極端になる可能性もあるので、それも調べるつもりなら歴史的な縦断研究も必要になる。

  2. 正確には、議論に参加すると自分と反対意見に接していても元々の意見を却って強めるようになることなので、意見を見るだけの影響はよく分からない。どっちにせよ、穏健化するの根拠が曖昧なのは同じ。

  3. 動機づけられた認知によれば、元々持っていた動機が強いほどその方向に物事を偏って見るようになる(例えば同じ場面でも判定を贔屓のチームに有利に見がち)とも言われているので、そうなると政治的な穏健と無関心の間の区別はますますつかないことが予想される。