最近、政治理論(哲学)の世界で政治的リアリズムが流行っているという日本語の論文を幾つか読んでそれぞれに面白かったのだが、その一方で当の政治的リアリズムそのものにはあまりピンとこない。なぜなら、ロールズの政治的リベラリズムと違って、政治的リアリズムは政治的という形容詞とリアリズという名詞の間に意味的な違いが少なくてただの同義反復に思えてしまうことだ。旧来のリアリズムとの違いはどうもはっきりしない。

政治的リアリズムはロールズを批判するが、それは正義論の前期ロールズであって、政治的リベラリズムの後期ロールズはまともに理解していない。でもこれってコミュタリアリズムそっくりだ。コミュタリアンのサンデルが後期ロールズを理解していなくてローティに馬鹿にされていたが、残念ながら同じことが政治的リアリズムにも言えてしまう。政治的リアリズムが正義論以降の政治理論に主流となってしまった応用倫理学を批判するのは分かるが、コミュタリアンとの関係はよく分からない。

私論二つのリアリズム(政治理論)

私なりにリアリズムをあえて分類すると、力のリアリズムと卓越的リアリズムに分けられる。力のリアリズムとは国際関係論によく見られる国家(アクター)間の力のむき出しの闘争を均衡させることこそが大事だとする見方だ。闘技的デモクラシー論などもこちらに近い思想だ。卓越的リアリズムとは道徳主義を批判して卓越した徳を持った者による活動が秩序をもたらすとする見方で、君主論マキャベリからマックス・ウェーバーまでの伝統がある。力のリアリズムの例としてホッブスを挙げようとしたが、ホッブスには混乱を収める卓越した支配者を求めている側面もあるので、簡単には一方には分類できなそう。国際関係論以外で力のリアリズムにはっきりと分類できる古典はニーチェぐらいかな?

現代に一般的にリアリズムで含意されるのは力のリアリズムの方だ。しかし哲学的には卓越的リアリズムの系譜は強くて、すでに上げた君主論ウェーバーのような古典以後も、レオ・シュトラウスからコミュタリアンへの徳倫理の流れにも道徳主義批判が受け継がれている。優れた徳を持ったものは通俗的な道徳には拘束されないのだ!

制度論的リアリズムを求めて

実は、多くのリアリストがこぞって無視している有名なリアリストがいる。それはカール・シュミットだ。シュミットの決断主義はその道徳主義批判も含めて卓越主義的だ。しかし、ナチス学者ともされるカール・シュミットを現存の大多数のリアリストは無視する。後期ロールズへの無理解であれカール・シュミットの無視であれ、現実から目を背けているのは当のリアリスト自身に私には思える。

カール・シュミットのリアリスティックな決断主義は前期までで、後期には新しい顔を見せることはあまり知られていない。後期シュミットは過去のヨーロッパの国際秩序の背景にヨーロッパ公法の存在を見い出し、それが変質しつつある状態を分析していた。カール・シュミットは後半生に入ってリアリストとして新たな側面を見せ始めたが、実はこれはロールズの政治的リベラリズムへの転回と共通点を持つ。それは制度論への注目だ。

政治思想におけるリアリズムの共通点は力の重視だ。ただその力の力点が、アクター全体に見る均衡論か特定のアクターに見る卓越論かで違いがあるだけだ。後者は卓越した徳を持つべきだという喚起にとどまっており、そもそも徳倫理が学問的に成立することが優れた徳の促進につながっているとも思えない(むしろ逆?)。前者は政治をむき出しの力の闘争として見てるだけで、その力の働きの背景への分析は薄い。

カール・シュミットは国際秩序の背景にヨーロッパ公法を見出している点で制度論的だ。後期ロールズの場合は、重なり合う合意についてそんなの存在しないと批判する人がよくいるが、そうではなくて人々の意見の闘争の中に重なり合う合意(立憲主義)を見出さざるをえないと言ってるだけだ。そこには前期ロールズ形式主義はすでになく、現実の政治的活動の中から立憲主義を成立させるしかないとする冷めた制度論の視点がある。後期ロールズを理解できない人は後期オークショットを読むことをおすすめします。なんでも政治で解決できるという思い上がりこそがオークショットによる批判の重点だ。

アルチュセールは今や世界的に見てもさっぱり理解されてないが、晩年のマキャベリ論は優れた論考だ。リアリストに好まれる君主論と共和主義者に好まれるディスコルシとを統合的な視点からみようという論考なのだが、ここにも背景を見ようとする制度論を私は見出してしまう。私はリアリストだと声高に叫ぶリアリストぶりっ子ではなく、現実を冷徹に見る視点にこそ私は本当のリアリストを感じる。そういう本物のリアリストは歴史的に見ても稀にしかいない。

政治的リアリストについての日本語論文は幾つかネットでも手に入るが、この記事に関連したものだと「google:方法論かエートスか?政治理論におけるリアリズムとは何か)」がある。要するに、私自身は方法論にもエートスにもどちらにも冷たいということだ。