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どうも、日本の知的好奇心の低下を憂慮してる蒼龍です。
学術的な論文や(電子)書籍ならまだ読んでるけど、ブログなんてほとんど読んでない(読む価値のあるのがほとんどない)のに自分からブログを書く気など起こりません。SNSも情報の効率も質も悪いから嫌いなのだが、稀に有益な情報も混ざってるから仕方なく見てる程度。
私の近況としては、とりあえず統計の勉強はずっと続けいてる。最近は日本の本物の統計学者の言ってることに目が開かれて、情報幾何学に手を出し始めて全く歯が立たない状態。自分は元々数学好きなのでつい手を出してしまうが、所詮は実力ないんだよね。でも、古典的統計もベイズ統計も機械学習も一貫して理解できる理論なんてよだれが出るほどうらやましいわ〜
あと、つい最近に興味を持って日本語の論文を読んだのは、レカナティの心的ファイル理論。若くして亡くなったガレス・エヴァンスの言語哲学とも関連深く面白い。オリジナルのレカナティの書籍が出たのが2012年だが、同じ年に記号に基づく構文文法の書籍も出ていて、記述的な点で優れた辞書的な理論なところが似てるなぁ〜と思った。ただし影響や評価はよく分からないが、そういう混沌状態は認知科学に限らず現代の学問全般にもあるように感じる。
ブログの記事にしても良さそうなのはエビデンスベースの話かな?最近よんだある雑誌で日本ではエビデンスベースは懐疑派の方が多いとあって、私も共感した。確かにエビデンスベースについて日本語文献を調べても懐疑的なものばかりが出てきて、しかも私から見ても知識の足りないと思われるものばかりだった。と言っても、私もそこまで素朴なエビデンスベース肯定派な訳でもないが、エビデンスベースの手法が持つ複雑さや深さが日本では全く伝わってないことには懸念しかない。
でも、エビデンスベースの代表的研究者ナンシー・カートライトの論文の読みにくさには頭を抱えている。まぁ、社会科学における因果推論という別ルートなら良い論文を持ってるので、そっちからなら書くかも。オープンアクセスの英語のエビデンスベース(根拠に基づく)政策の電子書籍があるのでリンクしておきます→google:Justin Parkhurst The politics of evidence: from evidencebased policy to the good governance of evidenceただし著者の専門のせいか政策方面の方が強く科学的な面はちょっと弱いのに注意。
あと、日本でも最近の哲学では概念工学が話題で、私も日本語文献も多少読んだが、言語哲学の知識のある人がなかなか見当たらないのが問題かな。概念工学の有名な研究者カペレンも自分は言語哲学的な文脈主義で元々知っていたからなぁ〜ピンカーの本で言及されてた極端な語用論はその辺りがきっかけで当時議論されたテーマのはず
まぁ、私自身は概念工学なんてやりたい人が勝手にやれば良い(哲学者に限定される必然性もない)程度には態度は冷たいが、概念工学の視点から哲学史を再構築するってのは面白そうな気がする。でも、ただでさえ困難そうなテーマだが、ましてや言語哲学と哲学史の両方の知識を持った研究者なんてそうそういそうにない。ただの私の妄想で終わりだな〜