おかしなおかしな認知のベイジアンモデル批判

べイジアンについては引き続きいろいろ調べ続けているが、その中で『心理学評論』第61巻1号 特集「統計革命」を最近になって見つけた。この特集への感想として初めに思ったのは、思ったよりも特集名に合致した論文はそれほど多くないことだ。「心理学評論」に認知モデルに関する論文がこんなに載ったなんて私的には感涙モノだが、やっぱり特集の企画とはズレを感じる。企画に沿った論文でもテクニカルな内容が多くてお世辞にも読みやすくはない。個人的にはコメント論文が読みやすい割に内容が深くてお勧めだ。

この特集の個々の論文に触れていると切りがないので感想はこの辺りにするにしても、その中で一つ特に気になったことがあった。「高次認知研究におけるベイズ的アプローチ」 1 にあった、合理的モデルまたは最適モデル、および記述的モデルとの2つのベイズ的アプローチに関する説明だ。自分はこれを読んでいてなんとなく違和感を感じたので、参照元となっているTauber et al."Bayesian models of cognition revisited"を見てみることにした。実はこれは前に一度ネットで見つけてダウンロードしたが読む価値がないと思って一度は捨てたのだが、今回改めて読んでみると私の直観も案外捨てたもんじゃないとなぁ〜と自信を持ってしまった。

「高次認知研究におけるベイズ的アプローチ」を確認する

まずは、「高次認知研究におけるベイズ的アプローチ」p.78-9から該当部分を読みやすいように一部省略しながら引用しよう。

まず一つ指摘しておかなければいけないのは, 認知主体がベイズの定理を用いて目の前の情報を 判断・解釈すると仮定してその認知をモデル化す るとしても,そのモデル化には2種類の解釈があり得ることである。1つは合理的モデル (rational model), あるいは最適モデル(optimal model) と呼ばれ,認知主体 が与えられた環境に対して最適な推論を下してい ることを仮定する。もう1つは記述的モデル(descriptive model)と呼ばれ,認知主体の知識表現や信念,および学習による信念の更新を確率モデルとして表現・記述することを目指す。

と分類したその後で、

その点で,Oaksford and Chater(1994)の説明は上の分類に従えば合理的モデル に分類することができよう。一方,2000年代の研究,特にTenenbaumらによる研究は,記述的モデルとしてのベイズ的アプローチに分類でき る。

と指摘している。しかし、オリジナルの"Bayesian models of cognition revisited" を読むとCase study部分でTenenbaumらの具体的な研究を挙げて明らかにoptimal(最適)だと批判的に論じられている。引用部分を読めばわかるようにこの点に関しては明らかに勘違いがあり、「高次認知研究におけるベイズ的アプローチ」のこの辺りの関連した議論はTauberらの論文に正確に沿ったものではない。だが、私が本当に批判したいのは実のところこの論文ではなくて、むしろTauberらの論文の方なので、以降の話の中心は完全にTauber et al."Bayesian models of cognition revisited"に移行します。

Tauber et al."Bayesian models of cognition revisited"のどこが問題か?

これはあの「Psychological Review」に採用された論文と言う割にはおかしな所が目立つ。

この論文では、ベイジアンについての最適アプローチと記述アプローチとに分類した上で、これをCosmides&Toobyの進化心理学と結びつけている。ここに誤解がある。彼らの言うベイジアンの最適アプローチは現在の環境への最適性を仮定しているが、進化心理学自然淘汰の生じた大昔の環境における適応を仮定していることが考え方として当時、衝撃的だったことを完全に無視している。つまり、元々の進化心理学は昔の環境への適応と現在の環境への適応を分けているのが特徴であった。Gigerenzerの生態学的合理性は進化心理学の考え方を受け継いだ理論 2だが、これは行動経済学の非合理性を批判して、ヒューリスティクス(直観的判断)の持つ生態学的な合理性を主張している。Gigerenzerはヒューリスティクスを認知的限界との絡みで次善(second-best)の策を取るとしているが、これも素朴に現在の環境への最適化と考えるのは無理がある。総じて進化心理学のアプローチは適応的(adaptive)なのであって最適(optimal)なのではないのであるが、これはダーウィンが進化論についてしていた有名な指摘でもある。こんなのは些末な指摘だと思われるかもしれないが、こんなのはもっと根本的な指摘のための準備運動でしかない。

核心に入る前にもう少しストレッチしておこう。この論文ではベイジアンについての最適アプローチと記述アプローチとを排他的に分類しているが、これがどうもおかしい。記述アプローチについては最後に触れるのでとりあえずは脇に置くが、単純に考えてもデータに合うかどうかの記述性と環境に適応しているかどうかの最適性とは必ずしも矛盾しない。データに合っていてかつ最適であることは可能である。Tenenbaumらによる研究は最適アプローチだと単に分類されているが、それは彼らの研究が記述的ではない理由にはならない。にも関わらず、Tenenbaumらによる研究が記述的でないとされる理由は確かにある。これはこの論文における記述アプローチとは何か?に関わりを持っている。

どこが根本的な勘違いなのか?

最初に疑問を感じたのは、すでにした引用にあるようにTenenbaumらによる研究が記述アプローチに分類されていたことだ。しかし、これまでの私の勉強の成果からTenenbaumらによる研究はむしろその合理性が指摘されることが一般的にも多いので、この分類自体がよく分からなかった。それに、心理学のような経験科学においては、(経済学ならまだしも)データと適合しない規範的な理論が最適アプローチとしてあったという指摘もあまりピンとこなかった。

そこで気になって、その元となった論文"Bayesian models of cognition revisited"を改めて見直してみると思ったよりもとんでもないことが想定されていることに気づいてしまった。それは"Bayesian models of cognition revisited"p.9にあるベイジアンへの記述的アプローチについて、具体的な論文が参照されている所を見ていたときだ。その論文への言及の中でmodel selection(モデル選択)とかparameter estimation(パラメータ推定)という文字を見て、もはやそれらの言及論文に遡るまでもないと分かった。つまり、彼らがベイジアンの記述的アプローチと呼んでいるものは、ベイズ統計モデリングのことなのだ。これについてはこの特集中の論文「心理学におけるベイズ統計モデリング」で主題になっているが、そこでも指摘されている通り認知モデルとベイズ統計モデリングはあくまで別物だ。Tenenbaumらによる研究は認知モデルについての研究であり、それをベイズ統計モデリングと直接比較すること自体がおかしい。ベイズ統計モデリングがデータとの適合性が高いのは、そもそもそれがそういう手法だから故の当たり前のことであり、認知モデルと直接比較して云々すること自体が奇妙でしかない。 3

最後はベイズについての認知モデルと統計モデリングとの関係を論じればいいのだが、これを書いていた当初は私の直観的な理解を書こうとしたのだが、どう考えても根拠を示されずに言えるほどには確信が持てないので困っていた。その後、あるきっかけで当然にこのテーマに直接に関係のある論文を見つけ出したので、無事にこの記事を書き終われそうなことになった。それは"How cognitive modeling can benefit from hierarchical bayesian models"だ。この論文は"Bayesian models of cognition revisited"p.9の記述アプローチの説明で言及されている論文の一つの著者であるM.D.Leeによるものだ。Leeはベイズ統計モデリングの研究で有名な人で、この論文もそうした論文の一つだ。実際にこの論文では、初めにベイジアン・アプローチを統計的検定と認知モデルと統計モデリングの3つに分けて、ここでは3つ目を扱うとはっきりと言っている。この事実自体が、記述アプローチが統計モデリングと同じであるとこの傍証でもある。しかし、今回注目すべきなのはそこではない。このLeeの論文のabstractの冒頭を引用しよう。

Hierarchical Bayesian modeling provides a flexible and interpretable way of extending simple models of cognitive processes.

これは私が当初思っていた…ベイズ統計モデリングは認知モデルを評価・検証するための手段であって、ベイズ統計モデリングそのものがベイジアン認知モデルの代わりになる訳ではない…という見解が正しいことを示しているとしか思えない。いや、"Bayesian models of cognition revisited"p.48の「Combining Bayesian data analysis with Bayesian cognition」という節タイトルから、実はこっちの論文でも同じ見解を結論として示したかったのかもしれないが、だとしてもベイジアン認知モデルとベイズ統計モデリングとを、最適アプローチと記述アプローチに分類して比較する必然性は全くない。むしろ、最初の無用な誤解を招く分類による議論はなくして、Tenenbaumらによる研究をベイジアン認知モデルとして批判してから、それに対してベイズ統計モデリングによって検証されるべきだと結論付ければ済む話で、その方が流れとしても自然だ。

ベイジアンはまだ途上だ

ベイズ統計というのは特に二十一世紀に入ってから盛んになり始めて、今現在も発展と普及の最中なので様々な混乱と誤解は起こりがちなのだろう。しかも、ベイジアンは応用範囲も広いので全体を把握するのも難しい。私はその関心上、知りたい範囲が広くならざるを得ず四苦八苦している。だが、新しい理論や技術の理解が大変なのはよくあることだ。ベイジアンの価値はまだこれから定まっていく途上にあるのだ。


  1. 以下、特集中の論文はすべて、リンク先の『心理学評論』第61巻1号 特集「統計革命」から読めます。

  2. 実は、モジュール論を想定するCosmides&Toobyと二重過程説を想定するGigerenzerとの比較というのも興味深いのだが、ここでは触れない。

  3. ベイズ統計モデリングではデータ生成メカニズムが問題になっているが、同じくメカニズムでも、それは認知モデルが科学哲学者BechtelやCraverの指摘する生物学的メカニズムの認知版であるのとは異なる。