あるテレビCMを見た感想

最近、ある人材派遣会社のテレビCMを見てショックを受けてしまった。電車で帰宅するOLが仕事上の悩みに一人で鬱々としている様子をアニメで描いたCMだ*1。これが日本のサブカルチャーとしてのビジネス・ブームの行き着く先なのだ、と。
1990年代の終わりごろに日本ではITバブルが始まりヴェンチャー起業が話題になり、その頃にビジネス・ブームは始まったと言える。私の場合はテレビ東京のビジネス・ニュース番組が明るく様変わりになったのを見て最初にそれを実感した。評論家の宮崎 哲弥はビジネスがサブカルチャー化したと言っていた。その後、ITバブルがはじけても小泉ブームホリエモン・ブームなどが続き、ビジネス・ブーム(&投資ブーム)は収まらなかった。実際に雑誌やテレビ番組にはビジネスものが異様に増えた。しかし、そんなブームが明るく終わるわけがなかったのだ。
今や、仕事の上で昔の日本のように周りのサポートを受けられる状況にはない。上司は忙しくて当てにならずかといって同僚にも相談できず、仕事上の悩みを一人で鬱々と抱えるしかなくなっている。それでなくても、仕事量は過剰に増える一方だし、一時的にそこから降りたくても日本ではそれもできない。経歴社会の現代日本では一度降りると元に戻るのは困難だし、そうしたらニートだと罵られるだけだ。そうした抑うつの結果、日本には他にもっと恵まれたやつがいるんだとの妄想による不毛なバッシングを行なうルサンチマンに陥る人がいることになる。状況は最悪だ。*2

*1:CMなので一人で悩まず私たちにご相談くださいで終わるのだが

*2:今や競争社会になった現在の日本は、実は以前の日本よりもかえって効率が悪くなっている。職場が流動化したり、人材を使い捨てしたり、成果を競わせたりしているのだが、これこそ効率の悪さの原因だったりする。どの職場でも他の職場では使われない隠された技能が実は必要とされるのだが、それこそ経験によって身に着けていくしかなく、以前の日本はその点でうまくいっていたのだが、現在は流動化が激しくなりそれは不可能になってしまった(流動性アメリカほど高ければ利点で補えるかもしれないが)。人材の使い捨てだって、これからどんな人材が必要とされるかを考慮しないから、あとからよい人材がいないいないと大騒ぎするバカに陥る(なら初めから育てとけ、全員がただ乗りはできない)。企業文化だってろくに考慮されないから、成果主義ならOKみたいなどうしようもないアホが出てくることになり、せめてそんなアホな企業は淘汰されればマシなのだがそんなこともない(企業文化とは人為的に自由に変えられるものではない)。全体性を見通すことができないことでこんなところにも弊害が生じている。ちなみに、極端に漸進主義的で個体主義的なネオ・ダーウィズムの進化観は、その本人の意図に関わらずネオリベイデオロギー的に貢献してしまっている。もちろん、進化過程における遺伝の生殖的ネットワークと経済行動における経験の社会的ネットワークとは働いているレベルが全く違うので現実には全く関係がないのだが。しかし今や、民族や人種中心の優生学から個体中心の優生学へと変化しているのだが、それが偶然にもネオ・ダーウィズムとネオ・リベラリズムとの共謀関係になってしまったようだ。同時代性って恐ろしい。