宮台真司の教育への処方箋を検討する

教育神話解体:教育は子供のためでも国家のためでもない http://www.miyadai.com/index.php?itemid=544
宮台真司の社会分析(前半)はいつものように鋭い。しかし、(相変わらず?)処方箋(後半)に関してはどことなく変だ。それを指摘するのが今回の目的だ。
1、日本の国益を損ねるからアメリカへの依存はダメ、ここまでは理解できる。しかし、日本の自立のために軍事力が必要だとするが、どうも話を誤魔化してる。日本には外交力がないから軍事力が必要だとする論になっている。日本には有利な外交を行なうための判断力がない、だから軍事力が必要だとする。しかし、よく考えれてみれば、軍事力を行使するためにこそ適切な判断力が必要となるのだから話がおかしい。戦前のように軍部が力を持たなければ良いとも言えるが、シビリアン・コントロールだって当の政治家に判断力がなければ戦前とそんなに変わらない。

この頽廃は、「非武装中立」を実現するコスタリカのような傑出した戦略的外交能力を持つエリートの欠如と表裏一体だ。能力が欠如する以上、対米自立には重武装化が必須だ。重武装とは、敵が反撃を予想して攻撃を控えるのを目的とした対地攻撃能力のこと。

これを正しく理解できている政治家が日本にいるなんてとても思えない。今の日本が軍事力を持ったって、ナイフを持っていきがった餓鬼と同じで、いくら武器を持っていようとそれを適切に使える判断力がなければ意味がない。そして、日本の内政状況を見るだけで、そんな能力を持っているやつ(政治家や官僚)などいないか、もしいたとしても表舞台に出られないし、政治家のおかしな独走を止められるかもあやしい、としか思えない。外交か軍事かの選択肢はその国のおかれた経済的および地政学的状況によって決まるのであって、判断力を持っているかいないかで決まるものではない(むしろ対米追従の方が判断力の必要がない)。そもそも軍事力は外交力を補うために必要とされるのだ。日本に卓抜した外交力がないのは確かだけど、だからといって軍事力を活かせるレベルの外交力があるかどうかさえあやしい。これが議論を起こすためのきっかけなのだとしても、(宮台真司本人には分かっているのかもしれないが)ここまで明らかに言っておかないと意味のある議論にならない。そして、適切な判断力の必要性こそが、次の新しいエリート教育の話へとつながる。
2、日本には、ヨーロッパのように階級による基盤もなければ、アメリカのような理念としての自由もない。私腹を肥やす売国奴をなんとかするためにも、日本には立身出世を目的とした似非エリートではない新しいエリートが必要だ。ここまではいいだろう。この先の処方箋はこの文章では軽く言及して終わりにしているが、これまでの宮台真司の発言を考えれば言いたいことは大体分かる。

そこで私は、学齢期初期段階で「親の因果が子に祟る」のを抑止した後、「選別と動機づけ」の反復による選抜システムを勝ち抜いた者に「獲得的ハビトゥス」が備わるような制度設計を提案している。そこで重視されるべきは「競争動機」や「理解動機」と区別される「感染動機」である。

感染動機というのは、宮台真司がいつも言っているミメーシスのことであり、精神分析の転移にも近い。全体性にコミットする意欲としてのノブレス・オブリージュという階級的ハビトゥス(身に付いた態度)を感染(ミメーシス)によって身につけさせようということだろう。ここには問題はいくつかある。誰がそのミメーシスの源に相応しいといえるのか、公的な教育制度でそれを実現することは可能なのか、そもそもにおいて感染や転移は意識して行なおうすると効果がないのではないか。そしてこれらの問題は全部つながっている。(所詮は)公的な制度で(所詮は)公僕の教師が(所詮は)そうしろと命じられてそんなことができるというのだろうか。はっきり言わせてもらうと出来そうにない。
これが宮台真司がそうした目的(新しいエリート育成)を持った特定の学校を(新しく)つくろうと訴えているならまだ納得がいく(可能かどうかは別の話)。でも、教育一般への提言としてはうまく成立していない。だいたい、感染(ミメーシス)が教育システムで行なわれなければならない必然性が全くない(教師に感染してどうする?)。むしろ、教育に下らない期待をするバカ右翼やバカ左翼を撃退するためには、教育システムの役割(への期待)を縮減させる方がいいのではないのか。その上で、宮台真司の言う感染(ミメーシス)を可能にする(教育システム以外を含めた)制度や手段を考えるべきではないのか。
宮台真司はときどき初めから結論ありきで話をしているようでならない。もしかしたら、あえてやっているのかもしれないけれど、あまり効果があるように思えないことも結構ある。