ゾントハイマー「ワイマール共和国の政治思想」は戦間期ドイツのワイマール期の反民主的な右翼思想である保守革命について、概論的にまとめ上げた古典的な研究書である。保守革命についての概論書としては今でも読みやすくてお勧めできる。
これは既に新刊では手に入らない本なので、ここで紹介するのをためうところもある。だが現代の極右の源となる保守革命について日本ではあまり知られていないので、あえて取り上げたい。なので、まずはなぜこの本を紹介するのか?を先に説明したい。
現代の世界(主にいわゆる先進国)で、極右とされる立場が隆盛している。そうした極右的な思想には源となる先駆者があり、それは保守革命と呼ばれる。次にリンクするのはヴァイス「ドイツの新右翼」の翻訳者による講演ですが、すぐに手に入れられて読みやすいのでお勧めします。
長谷川晴生「ドイツ・ヨーロッパ新右翼の思想と行動 ――その対外認識を中心として――」
現在のドイツでは極右とされる政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が大きな力を持ってきてる。そのドイツの極右の源には保守革命家であるユンガーやモーラーからの影響がある。
まず、エルンスト・ユンガーとアルミン・モーラーという師弟関係があり、モーラーから戦後の西ドイツの新右翼が発生し、モーラーの弟子筋が統一後ドイツの新右翼シーンを構成して AfD のような政党や Pegida のような運動を指導していることになります。
長谷川晴生「ドイツ・ヨーロッパ新右翼の思想と行動」pdf版p.3より
これは保守革命からの影響がそのままなので分かりやすいが、保守革命の思想の内容を知ってみると、それが今でも世界中に似た思想に溢れていることに気づくと思う。
保守革命とは何か?
保守革命とは、第一次大戦後のドイツのワイマール共和国の時代に盛んになった右翼的な思想である。保守革命はその後のナチスの思想的な地盤を準備したとして悪名高いところもある。しかし実際には、一時的にナチスに接近した保守革命家も一部いるが、それでさえ長くは続かずそれどころかナチスに反対した保守革命家もいた。保守革命とナチズムは安易に同一視してはいけない。
それでは、保守革命とは何か?保守革命と言っても様々な立場の総称なので一概にこれとは言いがたいが、本書には次のように説明されている(引用では保守主義革命とあるが、これは最近は保守革命が定訳となってる)。
このように定式化された《保守主義革命》の主張は強烈な主張であった。保持すべきもの、存続すべきもの、永遠なるものを欲するが、それがこの時代にはまだない。だから保守主義革命は過ぐる時代に忘れられてしまった永遠の価値を再び掘り起こし、生きた内容でこれを満たなければならない。維持するためには、破壊するという手段に訴えねばならない。すなわち
「よりすぐれた秩序と現実世界との結合の維持をめざす保守主義は、それ故に今日すべてを破壊しなければならず、打算的でニヒリスティックな価値観とそれに照応する民主主義という金権支配の政治制度に対しては、ただ革命的な攻撃あるのみである」
保守主義革命は、まさにフランス大革命の残滓を一掃し、それにかえて新たな価値を措定する壮大な対抗革命として理解される。
ゾントハイマー「ワイマール共和国の政治思想」p.119より
保守革命は保守主義と現在でも一緒にされやすい。ここにある孫引き(引用の中の引用)でもそうされているが、これは当時の著作からの引用なので仕方ない。しかし、未だに保守主義と保守革命が安易にごっちゃにされて語られていまうのは、物事を分かりにくくしてしまう。これらは分けて理解した方が分かりやすくなる。
本来の保守主義が失われたところで生まれる保守革命
本来の保守主義とは、今ここにある伝統を大事にして物事は徐々に改良すべきとする考え方だ。しかし、引用部分を見れば分かるように保守革命はそれとは違う。なにより保守革命という言葉自体が、「保守」と「革命」という本来なら矛盾するはずの概念の組み合わせから成り立っている。
保守革命の誕生は、その時代に遡ることで理解できる。保守革命という言葉は、元々は作家トーマス・マンが作り出し、その後に作家ホフマンスタールによって広められた。当時は第一次大戦後にヴェルサイユ条約によってドイツにワイマール共和国が成立した。しかし、そうした無理やり作られた共和国の状態に対する不満から保守革命は生まれている。
ここでワイマール期のドイツの思想状況を確認しておく。まずは民主的な共和国に賛同する近代的な進歩主義者がいる。それに対して、左には共産主義者がいて、右には以前の体制に戻りたい反動主義者がいた。これら全てに対して不満を感じる者(今のドイツの状態は不満だが昔に戻るのも嫌で共産主義にはなりたくない)が、保守革命という新しい思想的な立場を作り上げた。
保守革命の詳しい内容はこれから説明するとして、とりあえず言えるのは、保守革命とは本来の保守主義が魅力を失ったところに生まれた思想であることだ。つまり、現状に守るべきものがない中で進歩でも反動でもない形でそれを作り出そうとするのが保守革命の基本となる考え方である。
反近代の思想としての保守革命
第一次世界大戦の壮絶な戦争体験の後で1、ワイマール期のドイツの腑抜けた民主主義を前にして、新しいナショナリズムが生まれた。そこでは民主主義や自由主義を普遍的なものと見る近代的な思想が否定されることになった。
エルンスト・ユンガーは、新ナショナリズムは普遍的ならぬ特殊なもの、すなわち、《魂の力》を欲する、と言う。戦争の只中でナショナリストへと自己変革をとげた者は、啓蒙や理性の常套句に吐き気を催すほど飽きあきしている。新ナショナリズムは普遍的なものすべてを軽蔑し、まさにこれであってそれ以外ではありえないという独自性を追求する。
ゾントハイマー「ワイマール共和国の政治思想」p.122より
ここで言う自由主義とは、自由民主主義を含意している。その点では、意味の異なる現代のリベラル批判との類似点もある。
もっとも強烈でかつおそらく最大の影響をもった反自由主義宣言は、メラー・デン・ブルックの「第三帝国」の中に見出される。彼の基本命題は、「自由主義によって諸民族は滅亡する」というものであった。メラーは意識的に経済的自由と政治的自由主義を同一視したから、自由主義の政治家は、強い個人エゴや集団エゴを隠蔽するためにだけ人道主義的振舞や大げさな自由の美辞麗句を利用する悪徳商人とみなされる。
ゾントハイマー「ワイマール共和国の政治思想」p.145より
民主主義の議会制は、議論ばかりして何も決められないとされた。せいぜい一部の集団の利益のために妥協する悪しき多元主義に陥っていると疑われた。
「プロイセン主義と社会主義」という表題をもつこの小冊子は、反民主主義的精神運動におけるもっとも有力な文書の一つとなった。この書物の中でシュペングラーが嘲笑したのは、議会主義国家そのものではなく、専らそのドイツ版についてだった。彼によればイギリスの議会主義は定着しており、そこでは議会主義国家が現実に一つの国家となっている。ところが、ドイツではこれと逆に、愚劣な革命によって帝国にまったくふさわしくない国家形態、すなわちイギリスを手本にした議会制民主主義が採用されてしまった。…[中略]…「われわれは英仏の民主主義形態から解放されなければならない。われわれにはわれわれ自身の形態があるのだ」
ゾントハイマー「ワイマール共和国の政治思想」p.202より
保守革命は自由民主主義とは異なる体制を求める
自由民主主義という体制そのものが所詮は英仏でしか成り立たないものであり、そんなものに普遍性はないと喝破された。
しかしながらこの体制という表現は、反民主主義者たちの用語法では、特殊なアクセントをふくんでいた。つまりそれはたんに政治的な意思形成、権力分立ないし権力行使の手続き体系だけでなく、政治的な勢力争い、非効率的な議会制度、無責任な政党支配、弱い政府、情実政治、腐敗汚職、平和主義などの全体を意味していた。つまり《体制》とは、反民主主義的思想界においては、全体としてまことにいとわしく嫌悪すべき数々の悪現象がぎっしりつまったカンヅメのようなものであり。だからこそ一掃しなければならないと考えられたのである。
この《体制》には《体制の不当利得者たち》が寄生虫のように巣食い、国民を苦しめていた。ドイツの国全体に《体制》が根を張っているという見方を決定的にしたのは、多元的政党政治が経済団体によるエゴイスティックな利益確保の舞台になっているという印象であった。
ゾントハイマー「ワイマール共和国の政治思想」p.177より
保守革命はこうした軟弱な自由民主主義の代わりに、強い指導者によるドイツ民族のための帝国(ライヒ)を求めた。
ドイツ・ナショナリズムの特殊な用語における指導者とは、人間を指導する能力を授けられ、それにふさわしい業績によって正当化される人格の持ち主に限られる。たとえばマックス・ウェバーがカリスマ的支配の類型と考えていたのは、この種の人格的リーダーシップであった。
ゾントハイマー「ワイマール共和国の政治思想」p.222より
こうした権威主義や分割統治の思想は、現在の極右にも受け継がれている。ちなみに、日本のネトウヨにもよく見られる左翼叩きもこの時代とそっくりである(むしろネトウヨよりも非難の仕方が巧みだ)。
右翼系評論化から好んで《文士》という中傷的名称で呼ばれた左翼の文筆家たちは、クルト・ピントゥスの言葉を借りれば、「人間性、兄弟愛、自由な精神、慈悲、正義、幸福、責任感、愛」など、あの《永遠の理念》を信奉していた。
[…中略…]
戦争世代に属するナショナリストたちはしだいにこの左翼知識人たちの敵となり、《カビのはえた》 民主主義的・社会主義的理念に彼らの新しい理念を対置した。人間性とは弱さであり、人間的兄弟愛とは国民への裏切りを意味し、自由な精神は恣意、放縦とうけとられ、慈悲、幸福、愛は女々しい社会道徳の内容とみなされた。
ゾントハイマー「ワイマール共和国の政治思想」p.327-8より
ナチスの苗床としての保守革命(でもやっぱり別)
保守革命はナチズムと一緒くたにされて否定的に評価されることがよくある。しかし、実際にはその関係はもっと微妙で複雑なものである。
エドガー・ユングは、《保守主義革命》とナチズムとの関係を次のように見ていた。
「ドイツ革命の精神的諸前提はナチズムの外で創造された。ナチズムはいわば大きな作業共同体における《民衆運動部》を担当したのである。ナチズムはそれを立派になしとげ、誇り高き勢力となった。われわれはそれを喜んでいるだけではない。われわれはまた、もてるものを使ってその成長に寄与したのである。とくに教養層の中でのとるに足りぬ小さな仕事ではあったが、われわれはドイツ国民がナチ党の候補者に投票するための前提条件を作り出した。この仕事は成功や外面的名声を断念したがゆえに英雄的であった。
私はこの民衆運動の素朴さに、また無敵の大管区指導者、突撃指導者たちの闘志に尊敬の念を抱いている。しかし彼らの成功を、彼らが自らを地の塩と思い込んだり、精神的先駆者たちをないがしろにしたりする権利を彼らに与えるものではない…」
大衆運動としてのナチスの台頭という事態に直面して保守主義革命の代表者が陥った奇妙な困惑状態を、このユングの文章ほどはっきりと示してくれる例はなかろう。
ゾントハイマー「ワイマール共和国の政治思想」p.300より
確かに保守革命はナチズムが蔓延る準備をしたかもしれないが、簡単に同一視できる訳ではない。むしろ保守革命はそのままではバラバラの思想運動でしかなくて、しかも精神主義的な要素もあまりに強く、政治的な力を持つことはなかったはずだ。ナチスは保守革命から都合の良い部分を断片的に寄せ集めることによって、多くの人々の支持を集めた。「マイネッケは、[ナチス理論を]ヒトラーがドイツの発展のために利用できるすべてのダシと材料をいっしょにぶちこんだ寄せ鍋に例えている」(「ワイマール共和国の政治思想」p.141より)。
純粋な思想はそれだけでは多くの支持を集めるのは難しい。だから、多くの支持を集めるために様々な思想の寄せ集めのごった煮になるのは、ポピュリズムの宿命と言える。ただし、保守革命からナチズムへと至っては差別主義が強くなったが、最近は元々の差別的なオルタナ右翼から差別主義を薄くすることで人気を得てる極右政党と至っているので、その変化の仕方は一様ではない。
現代における保守革命の行方
ナチスをなんとか擁護しようとする人々は日本に限らず世界中にいるが、ただの残虐な差別主義でしかないナチスを擁護することに価値があるとは思えない。しかし、その源となった保守革命については類似した思想が未だに世界中(特にいわゆる先進国)から現れており、馬鹿にすることはできない。ただし、日本でもネトウヨが保守革命と似ているように見えるが、私から見るとネトウヨは保守革命の劣化版にしか見えない。
日本がワイマール期のドイツと似た状態になったのは、実は戦前ではなく戦後である。つまり、戦間期のドイツがヴェルサイユ条約によって民主主義を押し付けられたとしたら、戦後の日本はアメリカから民主主義を押し付けられたように見える(でも戦前に戻ることを望んではいない)。その結果として現れたのが今でも極右に注目される三島由紀夫であり、実際に三島由紀夫の思想を保守革命に類するとの指摘がある。ただし、日本はその後に高度成長からバブルへと向かったので三島由紀夫の望んだ方向とは全く違う方向に向かった(それにしても三島由紀夫の精神主義に比してネトウヨのなんと卑俗なことか)。
ドイツでも極右が台頭しているが、それがこれからどうなるか?はまだ分からない(実はフランスにも極右はいるがあまり話題にはならない)。現在はむしろ、保守革命を受け継ぐような極右がもっとも盛り上がっているのはアメリカである。しかし、いわゆるリベラルとされる人たちはそうした思想運動を頭から馬鹿にしていて、理解しようとさえしない。でもそれは、普段は他人を反知性主義だと馬鹿にしてるいわゆるリベラルが、ちっとも知的ではないことを意味している(反知性主義の意味合いも本当は違う。反知性主義には知識人への盲従を批判してる側面もある)。
保守革命は決して馬鹿にして無視すべきものではない。それを示すためには、保守革命の源となるニーチェ、本人が保守革命家とされるカール・シュミット、発言のあちこちに保守革命の要素が見られるハイデガー、など偉大な思想家を扱う必要があるが、それはここでの仕事ではない。
- ユンガーの優れた戦争体験の描写は本文からはあえて外した。ここで孫引きしておく。「長年の後、われわれの目は、戦争の地獄絵の中ではじめて本質的なものを見ることができるようになった。今こそわれわれはこの本質的なものに迫ろうとしているのだ。前方にほのかに見える目標の光がわれわれの道を照らし、火炎放射機が邪魔物を一掃してくれた。そうでなければ、われわれはどこにも立つことができないであろう。われわれは市民の敵であり、しかも純粋で真実で非情な敵であるから、市民の滅亡ほど愉快なことはない。われわれは断じて市民ではない。戦争と内乱の子である。市民の世界のすべて、すなわち空ろに動き回る舞台が取り去られる時にこそ、われわれの中に今なお自然・本質・純粋な野生・血と種による真の生産能力として眠っているものが開花するであろう。その時はじめて新しい形の可能性が生じるのだ。」(「ワイマール共和国の政治思想」p.100より)。保守革命のこの戦争体験の側面は、(そもそものその体験がない)その後の極右は受け継ぎようがなかったが、この男性的な側面の強調だけは受け継がれるようになる。↩